1人目2人目「体外受精」41歳で3人目「自然妊娠」の記録

現在43歳の3児のママです。 上2人は体外受精、3人目は奇跡の自然妊娠で出産をしました。一筋縄ではいかなかった約13年に及ぶ妊活と3人の出産の記録です。

コラム:サプリメントの話。新しい”試み”は前向きになれる。

🍀時系列に沿っての話は、番号を振っています.

🍀「コラム」の記事は治療内容には関係なく、飛ばしても話はつながるようになっています

 

振り返ってみると約13年間何かしら「妊活」していた訳ですが。

 

ん?なかなかできないぞ…と思い始めた頃、

元働いていた会社の先輩に

 

サプリメントは信じるな。時間との戦いだ。自己注射なんて余裕。なんでもやれ」

 

と言われました(笑)

つ・つよい・・・。

 

 

確かに、市販で買えるサプリメントできちんとエビデンスに基づいたものなんてない気がするし、弱みにつけこむものもある気がするし、本当に「気休め」なのかもしれないけど。

 

正直3人の妊活を13年間して、私個人の感想というか見解は、

 

 

 

どんどん試してみればいいと思う。

 

 

 

不妊治療をしていると、挫折挫折挫折の連続です。

 

あーまた生理が来た。

 

どうせ来月もダメだ。

 

とどんどん「負」のオーラに纏われてしまって、

落ち込むのが怖いから最初から「期待しないようにする」というループ。

 

そんな、前を向く要素が皆無な中、サプリメントで少しでも、

ほんの少しでも「前向き」になれるなら、どんどん試してみればいいと思う。

 

私もビタミンD、ザクロ、マルチビタミン亜鉛、足つぼ、生プロポリス…

と、色々試しました。

(マカだけは、はるか昔、電車の広告ですごいいかがわしいのがあって…マカに手を出したら負けだと思っていて踏み入れず・・・)

 

 

 

サプリにしても何にしても、新しく始めた時はその周期は、

ちょっと「期待」も入り少し前向きになれる気がしました。

 

針治療とか、処方してもらわないといけない高い漢方薬とかは、

1度やるとやめられない気もするし、時間も値段も限られた中難しいけど、

ドラッグストアで手に入るものなんかを、

「よし!ザクロジュースで乾杯だ♬」なんて、ちょっとした趣味みたいな感じで、

気負わず試していた気がします。

 

子宝の神様の場所に参拝に行くとか、

妊婦さんに赤富士を書いてもらうとか、

本当に何でも気負わず、思いつめずに、

気軽にトライできたら…日々楽しく過ごせるかな…と思います。

 

(ってあの頃の私に伝えたい)

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

でもその後、ちょっとこれは効いている気がする!!というものに出会って、

お守りのように(願掛けのように)愛用したものと出会います。

 

時系列に沿ってまたお話させてください。

 

 

 

 

 

 


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④卵巣膿腫摘出手術

 両側に卵巣膿腫があることがわかり、

3babynewborn.hatenablog.jp

 

 

 

主人と色々と話し合った結果、

沖縄ではなく東京の病院で手術を受けることにしました。

 

理由はこちら

 

3babynewborn.hatenablog.jp

 

 

 

そして、これも神様のいたずらなのか・・・と思うのですが、

実姉が妊娠し、その時期里帰り出産で実家にいるというタイミング。

 

みんなに気を遣わせることになってしまうので、

私は主人の実家に一時帰省→入院→手術→退院→主人の実家で数日→沖縄へ

という流れで動くことになりました。

 

なかなか勇気のある決断だったのですが、

義両親と一緒ということで、ある意味「甘え」もなく毅然と臨めた気がします。

 

 

実の母にはそろそろ赤ちゃんが欲しいとは話してはいましたが、

姉の妊娠(初孫)で喜んでいた時期でもあったので、

具体的な(人工授精のことなど)話はしていませんでした。

 

なので、突然の卵巣膿腫→開腹手術、そして義実家に帰省の報告に、

母親としてやりきれない気持ちがあったと思います。

 

気が付いてあげられなくてごめんねと涙を浮かべ謝られてしまいました。

(きっと姉も父も母もみんなみんな私に気を使っていたと思います…申し訳ない)

 

 

もちろん主人も一緒に帰省してくれました(自営業の特権)。

 

手術の日の細かい様子は10年以上前のことになるので、

今とは技術も変わっている可能性があるので詳しくは書きませんが、

 

 

開腹手術で行われ、

 

・両側の卵巣膿腫の皮様膿腫(デルモイド)

・細胞検査もして(後日結果連絡でしたが)良性の腫瘍

・両方とも卵巣を残すことが出来た

 

そして、私の希望で卵管の通水検査も同時に行いました。

 

今考えると、人工授精の前になぜ「卵管造営検査」をしなかったのかと思うのですが、

最初に行ったクリニックでは、まだ若いからとりあえずタイミングと、

人工授精からということで半年後?とかって言われたんですよね…(謎)

 

なので、せっかくお腹を開くのだから、その場で確認してもらおうということになり、

結果、無事に卵管も通っていました。

 

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ちょっと余談になりますが、

思い出してみると、シャワーの時などに、

身体を傾けると、お肉が片側に寄るということがあった気がします。

 

そして同時期に蕁麻疹に苦しんでいる後輩が同じ病気だったことがあったので、

因果関係があるのかな・・・と思ったこともありました。

 

卵巣膿腫の中でも、皮様膿腫というのは、

卵巣で「歯」や「髪の毛」を製造してしまう種類の腫瘍で、

ブラックジャックピノコはここから産まれたらしい)

手術後に主人はそれを確認するという作業・・・があったそうです。

 

嫌な役目をお願いしちゃったなと思いながら、

私もそのことを聞くことが出来ず…

未だになんとなくそのことを思い出すと、主人が困ったときには私が助けてあげる。

という気持ちになります。

 

妊娠を望むばかりに、歯とか髪の毛とか作っちゃったのかな・・・と、

その頃はよく思っていました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

お腹の傷が心配でしたが、子宮を開いたわけではないので、

すぐに妊娠してもお腹が膨らむ頃には傷も完治しているとのことで、

次の生理が来たらもう子作りを開始していいいですよ!

と太鼓判も押してもらえました。

 

ただ開腹しているので「癒着」が心配なので、とにかく術後から

よく動くようにと言われました。

 

 

卵巣膿腫があるとわかってから手術が終わるまで

3ヶ月ほどかかっているのですが、

本当にこの時私の気持ちは割と晴れやかで。

蕁麻疹も落ち着いていました。

 

もしかしたら数か月後には妊婦になっているかもしれない…と、

前向きな気持ちしかありませんでした。

実際身体もも軽くなり…毎日抱えて歩いていたと思うと恐ろしい。

 

すぐに生理も来て、翌月からまた妊活を開始したのでした。

 

しかし1人目を妊娠するのはまだだいぶ先なのでありました・・・・

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28歳 結婚を機に東京から沖縄へ

30歳 妊活スタート

    初めてのクリニック

    基本検査

    タイミング 4カ月

    人工授精 3ヶ月

    身体中に蕁麻疹

    大きい病院でMRI検査 

    両側に卵巣膿腫が見つかる

31歳 東京の病院で開腹手術

     無事成功し妊活再スタート (リアルタイムではないですが)今ここ

 

 

 

 

 

コラム:大勢の前で畑(子宮)が悪いといわれた話

🍀時系列に沿っての話は、番号を振っています.

🍀「コラム」の記事は治療内容には関係なく、飛ばしても話はつながるようになっています

 

 

28年間東京で暮らし、(先に移住していた)主人と結婚を機に沖縄に引っ越しをしました。

 

正直、不妊治療をするということにおいて、沖縄に住んでいたことは

振り返ってみると、しなくてもいい精神的な「苦労」をしてしまったような気持ちがあります・・・。

 

移住者の方と、と地元の方でまた感覚も違うかもしれませんが、

まず、

 

①とにかく子だくさん。5人兄弟とか割といる。

②結婚が早い=若いママが多い

③ので、周りに不妊治療をした経験のある方が少ない

③周りに親せきがいっぱいいる

④から、世代をこえて話が伝わるのが早い

④なんだかんだ集まりが多い

⑤親戚付き合いのように地域の付き合いがある

⑥行事(祭り)が多い

 

・・・・等。

 

東京ではマンション暮らしで、もちろんご近所付き合いも、マンションでの掃除とか、草刈り的なものとかもありましたが、なんていうかとにかく「近い」。

 

子供が産まれたとか、誰かの入学とか卒業とか…

そんなに親しくなくてもお祝いしたり、結婚式は400人とか・・・

 

 

主人が沖縄という土地で起業したこともあって、

その地にもちろん感謝の気持ちもあり、

暖かく迎えてもらっていたので、私も色々な場所に顔を出していました。

 

それこそ、お子さんが産まれたお祝いとか…

 

それでやはり結婚して3年目を迎えていると、

そろそろ赤ちゃんー?という話にはどうしてもなる・・・なってしまい…

 

その度に遠距離恋愛が長かったので・・・とか、お店が軌道に乗ったら、とか、

夫婦で笑顔で答えなければいけませんでした。

 

それが例えば1年に1度だったら、あー言われちゃったなーと

思うかもしれませんが、とにかく人の集まりに出向くことが多いので、

月に1度は(もちろん同世代にはあまり言われていないけれど)その様な場面に遭遇し、

その「笑顔」のたびに、ちょっとずつちょっとずつ消耗していった気がします。

 

 

そして決定的な出来事がありました。

 

 

漁師さんやら男性の多い集まりの2次会みたいな場所で、

(車で主人を迎えにいって座らされてしまった)

 

もうだいぶ出来上がった雰囲気の中、大御所の漁師さんが主人に、

 

 

 

「自分の店を持ってるのになんで早く子供つくらんかー!結婚して何年もして子供いないか。

それは畑が悪いなぁ。」

「うちの奥さんには終わったら逆立ちさせてたぞ、逆立ちしろ

 

 

 

畑。それは私の子宮。ってことですよね・・・

畑が悪い。

そして、コトが済んだら逆立ちしろと。

 

ほぼ男性のみんなの前で20人とか30人近くいたと思います。

 

しーーんとしているわけじゃないので、その周りにいた人しか聞こえなかったかもしれないけど、言う?30歳の若夫婦前に言う?

酔っぱらってても言う?

 

主人のそこそこ酔っぱらってたけど、

隣で青ざめてて。

でも返信する上手い言葉も見つからず、いやー欲しいとは思ってるんですけどね。

 

と。

 

そこで喧嘩しろとか思わないし、

100点の回答もわからないし、

その場での主人に対しての怒りは何もないけど、

帰ってから、そりゃあ主人に当たりますよね・・・

 

東京に帰りたいと泣いて、こんなところに連れてこられたと(自分で決めてきたのに)

泣いて、傷ついたし、恥ずかしかったと泣いて、

蕁麻疹まで出して(因果関係は分からないけどその時はストレスと思っていた)

頑張っているのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないの?と、

責めて、責めて責めて泣いて泣いて泣いたのでした。

 

 

 

ちなみにその数週間後ぐらいにも、

お子さん4人いる50歳位の社長さんに、

「いやー結婚3年でできないかー。やってる?やらなきゃできないよ?知ってるか。ワッハッハー」

という場面があり・・・

 

 

結果、あー私はここでは頑張れない。と、心のドアをガチャリと閉めたのでした。

 

 

もう次なにか言われたらその場で頑張れる自信がないと主人にも伝え、

その後飲みの席にも極力行かなかったし、

不妊治療において知り合いに会うことにより怯えてしまうのでした。

 

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結局、今振り返って思うことは、そして、いま同じような状況にいる方に言えることは…

必要以上に傷つくことはない

ということ。

 

悪意があっての発言(最近問題になっていた芸能人への「流産すればいい」とかのコメントみたいな)ではない限り、傷つくだけもったいない。

そこに費やしたり、消耗したりする「エネルギー」がもったいないし、

相手は傷つけようとしている発言でもない。

(配慮に欠けているし、デリカシーはゼロなのは明確だけど)

 

そんな場面に遭遇したら、

リテラシーの低い人に会ってしまった。と、

その出来事全部くしゃくしゃに丸めて、

宇宙の果てまで蹴っ飛ばして、1秒でも早く忘れてほしいなと思います。

 

 

私もそうできればよかったな。

 

 

③MRI検査と恐れていたこと

紹介状を書いてもらうことになり、

病院は〇〇〇でいいかなと言われ、その場で予約も取ってくれました。

(住んでいる場所での判断です。)

 

しっかりした病院・・・

通いやすい場所…

クチコミを調べて…

 

 

本来なら優先すべきところはそこですが、

私の中にはどうしても「知り合いにバッタリ会うのが嫌だな…」という気持ちがあり、

仕事柄、医療従事者の方と関わる機会が多かったので、

その県立病院はあの方が働いている…とかそんなことを思って帰りました。

 

(病院選びについてはこの先いくつも判断を迫られるタイミングがあるので、また別の記事でも書かせてください)

 

 

 

主人に諸々と報告をし、当日は一緒に行くよと言ってくれましたが、

なんとなく今までの人工授精までの過程での経験上、

この先まだ仕事を休んでもらわないといけないことがあるような気がして、

今回は一人で大丈夫と伝え、当日を迎えました。

 

 

産婦人科(産科・婦人科)へ行き受付を済ますと、

別のMRIのある場所に案内され、着替えをし、(騒音防止の為の)イヤホンの説明などを受け、横向いたり、上向いたり、反対向いたり、結構長い間「筒」の中に入っていた気がします。

 

 

正直15年前の話なので、少し曖昧にしか覚えていない部分もあるのですが、

結果はその日には出ず、数日後にまた予約を取りその日の検査は終了でした。

 

 

お会計に使うファイルを待っている時、

私が恐れていたことが起きてしまいました。

 

 

最近はそこまで頻繁にはお会いしてなかったのですが、

引っ越してきてすぐとてもよくして頂いていた奥さんが

 

「あらーーー!」と小走りに向かって来たのです。

 

奥さんは別の科を受診して前を通っただけなのですが、

私がいる場所は「産婦人科」遠慮がちな優しい笑顔で、

 

「あっ♡!えっ??」

 

と。

 

 

 

奥さんのことは今も大好きなんですが、

でもその時はとにかくこの「不妊治療」に関しては

 

「誰にも知られたくない。誰も会いたくない」

 

私だったんです。

 

 

「違うんですちょっと生理が不順で…」

 

とだけ言うのが精いっぱいでした。

もしかしたら顔が引きつっていたかもしれないな…。

 

 

 

今現在はなかなか赤ちゃんが来てくれなかったよと、ざっくばらんに話せるし、

「赤ちゃんが欲しくて今頑張ってるんです!」って言えば、

みんなそっと、でも全力で応援してくれると思うけど

 

15年前の私は、何にそんなに怯えていたんだろう…。

 

でもその頃は「不妊治療」を公表する芸能人などもあまりおらず、

今よりは閉鎖的な印象だったことはあるかもしれません(言い訳かな…)

 

あの頃の私に大丈夫だよって言って肩をポンポンとたたいてあげたい。

 

(少し先の話になりますが、この後も、この「怯え」が増してしまうようなエピソードがいくつか起こってしまうのでした・・・。)

 

 

そして、数日が過ぎ、本題の検査結果。

 

お腹の固い原因は、

 

・「卵巣膿腫」

・両側

・大きい方は7㎝ほどあるかもしれない

・これだけ大きければ腹腔鏡手術ではなく、開腹手術をお勧めする。

・多分「皮様膿腫(デルモイド)」であろう

・20代から30代女性に比較的多い割と一般的なもの

・今後どこで手術をするかにもよるけれど、卵巣は残し腫瘍部分だけを取り除く。

・捻転した時の激痛は意識が飛ぶほど。飛んだり跳ねたりしないように。

 

ということでした。

 

 

もちろん、何よりここに今いるのは、妊活から始まっているわけで、

一番聞きたかったその後の「妊娠」について色々と話を聞きました。

 

今覚えている先生の言葉は、

 

「もちろん手術してみないとわからないけど、

手術をすることで妊娠の可能性は確実にあがるでしょうね」

 

 

そうか。むしろ可能性は上がるのか…

 

15年前なので先生の言い回しは少し違っているかもしれないけど、

このままじゃ妊娠は難しいだろう。ということでの、可能性が上がる。

ということだったと思います。

 

 

ほとんど病気をしたことなかったし、開腹手術なんてショックを受けそうなものですが、

帰り道、私はホッとしていました。

 

 

 

結婚して3年が過ぎ、蕁麻疹に悩まされ、朝起きたら唇が腫れていて鏡の前でぎょっとして、

クリニックに行くのも苦痛で、次は体外受精にステップアップと言われていた

どうにもうまくいかない

 

”ぐずついた現状”

 

から抜け出せるんだ、

原因があったんだ。手術が終われば、妊娠できるんだ。

 

と一筋の光が見えた気がしました。

 

 

 

家に帰って落ち込むこともなく説明し、

これから手術する場所や日程を決めなきゃいけないと、

意気揚々と話を進めたのでした。

 

 

 

 

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28歳 結婚

30歳 妊活スタート

    初めてのクリニック

    基本検査

    タイミング 4カ月

    人工授精 3ヶ月

    身体中に蕁麻疹

    大きい病院でMRI検査 

    両側に卵巣膿腫が見つかる

    開腹手術の予定を組む←(リアルタイムではないですが)いまここ

 

②私は不妊症?

話は15年前に遡ります。

 

東京生まれ東京育ちで28歳。

 

お付き合いをしていた彼が、沖縄で起業をし少し経営も安定してきたという

タイミングで結婚し沖縄に引っ越しをしました。

 

当時誰もが知っている上場企業を辞めての沖縄移住でしたが、

元々主人とはマリン系の同じ趣味もあったので、沖縄に住むこと自体はそこまで迷いはありませんでした。

 

会社を辞めることに関しては迷いはあり、後に後悔(やはり沖縄の会社とはお給料も福利厚生なども全然違う…)もしましたが、遠距離恋愛をしていたのでお互い色々な意味で限界で、28歳は俗にいうタイミングだったんだと思います。

 

 

そして、遠距離恋愛でなかなか普通のデートもできていなかったし、(雨期ではない)いい時期を狙って新婚旅行にタヒチに行きたかったので、結婚してしばらくは2人で楽しもうなんて言いながら1年が過ぎ、30歳になったときに、妊活をスタートしました。

 

 

今のように「妊活」なんて名前はなかったけど、

同世代が妊娠適齢期ではあったので、色々と情報交換なんかはしていました。

 

排卵日検査薬」を使って1回でできたよ!

意外とすぐできるから気を付けてっ。

早生まれじゃない方がいいなら〇月くらいがいいんじゃない?

 

なんて、お友達の話を聞きながら、

自分もすぐ数か月後には”そちら側”のアドバイスする側にいくつもりでというか、

いくことを疑いもしていませんでした。

 

 

しかーーし!これから色々な長い長い人生で一番つらくしんどい時期がスタートします。

 

元々、

 

・生理は順調な方

・生理痛もひどくない

・そこそこ運動もしていた

・中肉中背で基本大きな病気もしたことがなかった

・たばこももちろん吸わない

・お酒も家ではほとんど飲まない

 

「子供ができづらい体質」だなんて思ってもいないので、

余計に落ち込みも大きかったのかもしれません。

 

 

そして、いよいよと排卵日検査薬を使い始め、

妊活を試みるも・・・・・・・・できない。

 

できない。

 

 

 

できない。

 

 

 

できない。。。

 

 

生理になる度に落ち込み、

排卵日に主人が仕事で飲みに行ってしまうと落ち込み、

少しでも胸が張ると喜び、

早期妊娠検査薬で一喜一憂し…

 

という妊活体験者の誰もが通る王道を一通り経験し、

話し合って、病院に行ってみようということになりました。

 

 

その時点で沖縄にも友人もできていましたが、

不妊かもしれない」という相談をできる友達はおらず、

主人の会社関係で、割と多くの医療従事者さんがお客様でいたので、

なんとなく、近所の病院には行きたくないなあ…という気持ちもあり、

あまり馴染みのない場所のクリニックを受診しました。

(妊婦さんも通う病院であったり、もっと近くに病院あるでしょうに的なことも言われ、正直印象はあまりよくありませんでした)

 

数か月かけて

 

・血液検査

・ホルモン検査

・超音波検査

精子検査

・フーナテスト

 

を検査し、

全て問題なく、(先生の感覚で)まだそこまで焦る年齢じゃないということで

タイミング指導4ヶ月から始め、そして人工授精を3ヶ月。

 

 

 

・・・

 

 

できない。

 

 

最初にクリニックの門を叩いてから半年以上が過ぎていました。

 

行くことがストレスにもなって来ていました。

 

 

正直いま43歳になって思えば、病院を変えるとか何でもすればよかったと思うのですが、知らない土地の病院に行ったということだけで、エネルギーを結構使ってしまっていて、

病院を変えることはこの時点では考えられませんでした。

 

 

そしてその頃。

 

人工授精のhcg注射を打った日から、

身体中に蕁麻疹がでるようになり、

朝起きるとまぶたが腫れて顔がお岩さんになっていたり、

唇が腫れていたり、

夜かゆくてかゆくて眠れなかったり、

指が腫れて結婚指輪がきつくなったり…

 

hcg注射との関連性はわかりませんが、

最初に出たのが注射の日だったので、

注射に対する嫌悪感や病院に行くことへの嫌悪感、

ついつい甘えで主人に当たってしまったりしての自己嫌悪感。

 

正直、いいオーラは出てなかったと思います…

(オーラとかよく知らないけど・・・(笑))

 

そして。

 

人工授精はこの日で最後にしてステップアップするかという時の超音波の卵胞検査(排卵日を予測する検査)で先生が、

 

 

「なんかお腹固いんだよね」

 

 

と。

 

 

外から触っただけじゃわからないから、

一度大きい病院でMRI検査してみてくれる?

なんか卵巣も見えにくいしっ。と。

 

 

・・・?

 

 

いくつか質問もした気もするけど、とにかく固いのが気になるという先生。

~の可能性がある的なことも聞けないまま大きい病院で検査をすることになったのでした…。

 

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28歳 結婚

30歳 妊活スタート

    初めてのクリニック

    基本検査

    タイミング 4カ月

    人工授精 3ヶ月

    身体中に蕁麻疹

    大きい病院でMRI検査 ←(リアルタイムではないですが)いまここ

 

①はじめに

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はじめまして。

 

現在43歳、3児の母です。

 

色々な経験を経て、3児の母になりました。

なることが出来ました…。

 

このブログは、

「原因不明不妊」からの「体外受精」からの「自然妊娠」のドキュメントです。

 

 

不妊に悩んでいた頃、「不妊治療後自然妊娠」「一人目体外受精二人目自然妊娠」等、たくさんたくさん検索をしました。

 

 

不妊治療を進めながらも自分の中のどこかにある「期待」を拭い去ることはできず、検索をしていました。

 

でも希望にはたどり着けなかった。

 

諦めた途端にできたなんてエピソードは何百と聞いたけど・・・

心の中100%嘘つかず、”諦める”なんてできないよって思っていました。

 

でも結果的に、あーーこれで私の長かった、いつもいつも頭の中を占領していた妊活が全て終わりって思った翌月、自然妊娠していました。

 

結局は神様しかわからない。

けど、上の二人が体外受精だって、自然妊娠出来ました。

 

3人目の子供が春から保育園に行き始め、少し時間が持てるようになったので、

どこかで悩んでいる、数年前の自分のような誰かに…

 

希望を届けるために、このブログを立ち上げました。

 

ちなみに、不妊治療は加藤レディースクリニックですが、

当時沖縄本島在住でした。

 

・遠方からの通いでの不妊治療

・両側卵巣膿腫の回復手術

・子宮ポリープ2回摘出

 

当時は笑っちゃうほど壁だらけ。壁だらけで壁のてっぺんも見えなかった。

 

けど、3人産むことができました。

 

不妊治療にどれくらいお金がかかったとか、

リアルタイムで参考になるブログはたくさんあると思うので、

詳しいことは書きません。

 

でも、暗闇からすこしずつ光が見えて…

 

 

今現在、あの頃頑張ってよかったと、あの頃の私辛かったね、でも頑張ったね思えるので、

今頑張っている少しでも誰かの安心材料になれば…ということをポツリポツリと書いていきたいと思います。